山形市西部・村木沢地区の史跡紹介
今回は、この前に氏神様を紹介した村木沢地区の史跡をほぼ全てまとめて紹介していきたいと思います。それぞれの史跡の詳しい説明については、看板の写真を撮ったものもあるので、そちらをご覧下さい。
こちらの神社は、中宿辺りにあり、この前にブログにて紹介しました。
二、出塩文殊堂
出塩にあり、文殊菩薩がお祀りされています。そして、紫陽花の名所として村木沢地区の中でも有名な観光地です。別当は、良向寺というお寺です。
紫陽花が見頃になると、幻想的な景色が広がります。
別当の良向寺です。
三、桜ヶ丘(村木沢小学校)
地元の小学校が立地し、春には沢山の桜が咲き誇る丘です。
四、長岡楯
長岡に位置し、戦国期は軍事拠点であって、現在は色々な神仏がお祀りされている所です。楯の端には、観音堂があるそうです。
五、若木楯
こちらは、若木にある、戦国期の軍事拠点であった所です。
六、山王神社
山王にある神社です。
七、新山神社
下宿にある神社です。詳細はよくわかりません。
八、白山神社
西公園の近く、悪戸にある神社です。
九、阿弥陀堂
こちらも悪戸にあり、阿弥陀仏がお祀りされています。最上義光の妹で、伊達政宗の母である保春院に深く関係する所です。
十、悪戸の地蔵菩薩
こちらは悪戸のほぼ中心にあり、3体のお地蔵様がお祀りされています。
十一、地蔵堂
長岡にあり、お地蔵様をお祀りしています。詳細は不明です。
十二、等栄寺
中宿にある、浄土真宗のお寺です。
十三、広福寺
十四、光円寺
十五、正光院跡
金沢に、明治時代まで存在したお寺の跡地です。
十六、江口光清・江口文四郎墓所
出塩にあり、慶長5(1600)年の慶長出羽合戦の際に最上義光側として畑谷城(山辺町)を守護し、自刃した武将の江口光清と、その子孫とされる作家の江口文四郎の墓所です。
十七、向田八郎左衛門塔
大谷地の早坂林道沿いにあり、慶長出羽合戦の際に畑谷城の江口光清の救援に向かったものの、無念の死を遂げた向田八郎左衛門の慰霊塔です。
ちなみに、早坂林道は、江戸時代には巡見使という役人の重要な通り道だったそうです。この看板は金沢にあります。
十八、村木沢古墳群
早見堂古墳とも呼ばれ、村木沢小学校の南西側に点在しています。発掘調査でいくつかの石棺が見つかったそうです。
十九、開沼桜
長根にあり、この辺りの伝承に関係します。現在は2代目があるようです。
二十、旧村木沢村役場
現在は農協になっています。旧村木沢村は、昭和31年に山形市と合併しました。
大正5年の旧村木沢村と旧若木村の財産合併を記念した石碑が残されています。
番外
村木沢地区には、古来から「七不思議」といって、伝承されている遺跡があります。こちらもご紹介します。
その一、弘法の池
その二、弘法の井戸
その三、弘法乗馬の足跡
その四、夫婦杉
その五、風穴
その六、団子岩
その七、木の葉石
弘法の池は出塩の集会所に、夫婦杉と木の葉石は出塩文殊堂の境内に、弘法の井戸は足沢にあり、団子岩は足沢から採れる硅砂からできた白い岩のことを言うそうです。その他の場所は詳細がわからず、もしかしたら失われているのかもしれません。
最後に、村木沢地区から山形市中心部を望む景色をお見せします。
桜ヶ丘から
山王から
わからないことも多くあり、読者の方々には申し訳なく思っています。村木沢地区には、史跡や伝承などの歴史・民俗的な価値が多くあります。我が故郷の山形市西部のうち、村木沢地区の史跡を紹介すると共に、ブログに記録することができました。皆さんも、地域の歴史を残していく為に、史跡を調べてみてはいかがでしょうか。
いつか、西山形地区と大曽根地区編を作りますので、楽しみにしていてください。
皆さんもぜひ、村木沢地区に来てみてください!