令和4年、山形花笠祭り
今年も、山形にあの季節がやってきました。そう、花笠祭りです。とは言え、例の感染症の影響で山形市街地でのパレードは3年振りでした。今回は花笠祭り最終日の様子を写真を中心にご紹介していきます。
毎年、パレードが開催されるのは、山形市のメインストリートである七日町大通りです。民謡を基にした伝統的な踊り、花笠音頭と上手く融合した新しい独創的な踊りとが一緒になって練り歩きます。
午後6時10分、パレードの最初を飾る先頭集団がスタートしました。
祭りの中では何台かの山車も出ており、先頭集団を飾るのは何と言っても蔵王権現の山車です。
権現様の様相はなんともインパクトのあるもので、自分が小さな時から印象に残っています。
その後も賑やかなパレードが続きます。
山形市のマスコットキャラクターのはながたベニちゃんはとても可愛いかったです。
この中で特に感銘を受けたのが、自衛隊による踊りでした。厳しい国防の任務を担っている隊員の方々なだけあって、一際踊りにキレがあり、心を奪われて写真も動画も撮るのを忘れてしまいました。この踊りの様子は、YouTubeなどで視聴することができるので、ぜひ見てください。
その後もパレードは続きます。
フラダンス系の踊りも多く、昔のハワイの大王みたいな特徴的な人もいました。
私達は、午後8時頃で撤収しました。パレード自体は午後9時まで続いたようです。
今年の山形花笠祭りは第60回を迎えたそうです。
歴史を見ると、花笠の発祥は尾花沢市で、最初に行われていた山形市の祭りは最上義光公にちなんだ義光(ぎこう)祭でした。しかし、より大規模な祭りにするため、蔵王権現の霊験も戴き、蔵王夏祭りというお祭りになり、ここで初めて花笠が披露されるようになったそうです。次第に花笠が人気を集め、山形花笠祭りに発展しました。そして、今や山形を誇る東北四大祭りの1つになりました。
祭りと言うのは、何か心を振るわせるものがあります。皆がひとつになって楽しめることはとても素晴らしいことではないでしょうか。私は、感染症に負けない祭りを見ることが出来、大満足でした。
来年もまた楽しみたいです。
出塩文殊堂のあじさい祭り
村木沢地区でおそらくもっとも大きなお祭りであろうあじさい祭りに行ってきました。今回は見ごろを迎えた紫陽花たちを紹介します。
やはり、大勢の人々で賑わっていました。
それもそのはずです。紫陽花が思っていたよりも綺麗に、美しく咲き誇っていました。
丸く咲いている紫陽花、端っこだけが咲いている紫陽花、という違いに気付きましたでしょうか?これは原産地の違いで、丸く咲く方が欧州産、端に咲く方が国産なんだそうです。前者は豪華さ、後者は雅さを感じますね!
紫陽花だけではありません。悠久の歴史をもつ多くの文化財がまた、雰囲気を良いものにしています。
鳥居
門
別当の良向寺
南無文殊菩薩
由緒などの説明
出塩文殊堂の歴史を知りたい人はぜひ読んでください。
湧水
御堂
蚕祖神
詳細が気になります。
夫婦杉
2本の杉が自然に1つになったもので、山形市の天然記念物に指定されています。
文学碑
文殊堂ゆかりの文化人の言葉が記されています。
不動堂
不動明王がお祀りされています。冷たい湧水もありました。
その他の祠や石碑
いかがでしたか?私は紫陽花に魅了され、多くの文化財にもまた、心を動かされました。改めて、我が国、我が故郷の美しさを感じ、守っていきたいと思いました。
皆さんも、ぜひ、我が故郷の自慢であるあじさい祭りに足を運んで見てください!!!
令和4年、夏越の大祓
忙しい日々が続き、更新が2ヶ月ぶりとなってしまいました。
6月30日ごろは、夏越の大祓の時期です。この行事は、古来より行われており、半年の間に身に溜まった穢れを落とし、残り半年の息災を祈願する神事です。
ということで、私も以前紹介した氏神様に御挨拶してから、山形市の里之宮湯殿山神社に行きました(氏神様の様な小規模の神社では行事は滅多に行われません…)。
神社に着きました。
立派な茅の輪があり、無病息災を祈りながら手順に従ってくぐりました。因みに、手順はこの通りです。
参拝を終えた後に、穢れを人形に移して社務所に納めました。30日当日に神事を催行して頂くようです。縁起物として御神札や小さな茅の輪、破魔矢などを頂きました。
この矢を自宅の神棚に置く為に、ホームセンターで破魔矢置きを購入したのですが…
高さが合わない!
支えに羽根の部分が着いてしまいます。まさかの大誤算でした。皆さんはこのようにならないように気をつけてください。
令和4年、山形市西部の桜
山形でも、桜が満開になる時期になりました。今回は、山形市西部で美しい桜を見ることができる場所を紹介します。
一、柏倉八幡神社
柏倉地区の氏神様であり、社殿裏の広場に数本の桜が植えられています。
こちらの桜は、「皇太子殿下御降誕記念」という石碑がありました。どうやら、昭和8年に現在の上皇陛下の御誕生を祝い、設置されたようです。今や、上皇陛下は米寿を迎えられています。🇯🇵
この柏倉八幡神社は、後々、柏倉地区の他の史跡と共に紹介します。
二、桜ヶ丘(村木沢小学校)
ここは、以前に、村木沢地区の史跡と共にブログで紹介しました。名前の通り、桜が咲き誇っています。
三、長岡楯
ここも、以前にブログにて紹介しました。
以上で、紹介を終わります。他にも、山形市西部は豊かな自然に囲まれているため、沢山の桜の見られる場所があります。(私はまだ行けてませんが、富神山の麓の富神明神社もおすすめです。)皆さんも、桜が散ってしまう前に、お近くのお花見スポットに足を運んでみてはいかがでしょうか。
山形市西部・村木沢地区の史跡紹介
今回は、この前に氏神様を紹介した村木沢地区の史跡をほぼ全てまとめて紹介していきたいと思います。それぞれの史跡の詳しい説明については、看板の写真を撮ったものもあるので、そちらをご覧下さい。
こちらの神社は、中宿辺りにあり、この前にブログにて紹介しました。
二、出塩文殊堂
出塩にあり、文殊菩薩がお祀りされています。そして、紫陽花の名所として村木沢地区の中でも有名な観光地です。別当は、良向寺というお寺です。
紫陽花が見頃になると、幻想的な景色が広がります。
別当の良向寺です。
三、桜ヶ丘(村木沢小学校)
地元の小学校が立地し、春には沢山の桜が咲き誇る丘です。
四、長岡楯
長岡に位置し、戦国期は軍事拠点であって、現在は色々な神仏がお祀りされている所です。楯の端には、観音堂があるそうです。
五、若木楯
こちらは、若木にある、戦国期の軍事拠点であった所です。
六、山王神社
山王にある神社です。
七、新山神社
下宿にある神社です。詳細はよくわかりません。
八、白山神社
西公園の近く、悪戸にある神社です。
九、阿弥陀堂
こちらも悪戸にあり、阿弥陀仏がお祀りされています。最上義光の妹で、伊達政宗の母である保春院に深く関係する所です。
十、悪戸の地蔵菩薩
こちらは悪戸のほぼ中心にあり、3体のお地蔵様がお祀りされています。
十一、地蔵堂
長岡にあり、お地蔵様をお祀りしています。詳細は不明です。
十二、等栄寺
中宿にある、浄土真宗のお寺です。
十三、広福寺
十四、光円寺
十五、正光院跡
金沢に、明治時代まで存在したお寺の跡地です。
十六、江口光清・江口文四郎墓所
出塩にあり、慶長5(1600)年の慶長出羽合戦の際に最上義光側として畑谷城(山辺町)を守護し、自刃した武将の江口光清と、その子孫とされる作家の江口文四郎の墓所です。
十七、向田八郎左衛門塔
大谷地の早坂林道沿いにあり、慶長出羽合戦の際に畑谷城の江口光清の救援に向かったものの、無念の死を遂げた向田八郎左衛門の慰霊塔です。
ちなみに、早坂林道は、江戸時代には巡見使という役人の重要な通り道だったそうです。この看板は金沢にあります。
十八、村木沢古墳群
早見堂古墳とも呼ばれ、村木沢小学校の南西側に点在しています。発掘調査でいくつかの石棺が見つかったそうです。
十九、開沼桜
長根にあり、この辺りの伝承に関係します。現在は2代目があるようです。
二十、旧村木沢村役場
現在は農協になっています。旧村木沢村は、昭和31年に山形市と合併しました。
大正5年の旧村木沢村と旧若木村の財産合併を記念した石碑が残されています。
番外
村木沢地区には、古来から「七不思議」といって、伝承されている遺跡があります。こちらもご紹介します。
その一、弘法の池
その二、弘法の井戸
その三、弘法乗馬の足跡
その四、夫婦杉
その五、風穴
その六、団子岩
その七、木の葉石
弘法の池は出塩の集会所に、夫婦杉と木の葉石は出塩文殊堂の境内に、弘法の井戸は足沢にあり、団子岩は足沢から採れる硅砂からできた白い岩のことを言うそうです。その他の場所は詳細がわからず、もしかしたら失われているのかもしれません。
最後に、村木沢地区から山形市中心部を望む景色をお見せします。
桜ヶ丘から
山王から
わからないことも多くあり、読者の方々には申し訳なく思っています。村木沢地区には、史跡や伝承などの歴史・民俗的な価値が多くあります。我が故郷の山形市西部のうち、村木沢地区の史跡を紹介すると共に、ブログに記録することができました。皆さんも、地域の歴史を残していく為に、史跡を調べてみてはいかがでしょうか。
いつか、西山形地区と大曽根地区編を作りますので、楽しみにしていてください。
皆さんもぜひ、村木沢地区に来てみてください!
山形市の歴史と神社巡り
今回は、この前に晴天の下で山形市中心部の史跡と神社を巡ったので紹介したいとと思います。
まずは霞城公園(山形城跡)に車を駐めて、4月1日より改修を終えて再開した最上義光歴史館にいきました。この戦国大名の最上義光は山形のみならず東北地方を代表する名将です。少しでも興味がある人は調べてみたり、行ってみてはいかがでしょうか?
次に、すぐ近くにある豊烈神社に行きました。ここは幕末期に山形藩主であった水野氏の祖である水野忠元公らを祀っています。この神社には「打毬」という、全国でも珍しい奉納行事があるそうなので、私もいつか拝見したいものです。
山形を戊辰戦争の戦火から守った、水野家家老の水野元宣公の銅像は、新しくなったようです。
その後、写真は有りませんが、歌懸稲荷神社と諏訪神社にも寄りました。
次に、少し遠くなりますが、山形県護国神社に行きました。ここでは、美しい晴天の下で、御英霊に御挨拶と感謝を申し上げることができました。
最後に、里之宮湯殿山神社にお参りして、山形市の散策は終了しました。お宮参りのご家族が大勢おり、日本の文化に改めて美しさを感じました。(人が大勢居たため、鳥居と社殿の写真は撮りませんでした。)
旧暦の雛祭りにちなんでか、社務所には雛飾りがありました。